年末年始に読んだ小説です。
高校生の頃から角田光代の本は読んでいて、久しぶりに彼女の作品を読みました。
著者紹介
角田光代
1967(昭和42)年神奈川県生れ。魚座。早稲田大学第一文学部卒業。1990(平成2)年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。1996年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、2014年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞を受賞。著書に『キッドナップ・ツアー』『愛がなんだ』『さがしもの』『くまちゃん』『空の拳』『平凡』『笹の舟で海をわたる』『坂の途中の家』など多数。(新潮社より)
あらすじ
結婚する女、しない女。子供を持つ女、持たない女。それだけのことで、どうして女どうし、わかりあえなくなるんだろうか。
ベンチャー企業の女社長・葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始めた専業主婦の小夜子。二人の出会いと友情は、些細なことから亀裂を生じていく……。
ここが面白い!
年を重ねることはどういう意味があるのか。
生き方が全く異なるまさに対岸にいる主人公の30代女性2人の関係性の変化を葵の衝撃的な過去の出来事の振り返りを織り交ぜながら、描いている点がとても面白い。
田村小夜子、35歳。30歳で職場の人間関係に疲れて寿退社した彼女は、以来、家に篭って出会いのない生活を送っていいる。
夫、3歳の娘、嫌味の絶えない姑という狭い人間構成で過ごし、家族の外で友達と交流することも少なく、それどころか公園デビューでつまづいたことが尾を引いて、他所とふれあうことにも気力を失いかけている。
本書は、そんな小夜子が一念発起して働きに出ようと決心し、面接に赴いた零細企業社長の葵と出会い、清掃サービススタッフとして働き始めるところから物語が始まる。
楢橋葵、35歳。大学卒業と同時に旅行事業所を設立し、有限会社にまで成長させた女社長。サークル活動の延長のようなノリで日々の仕事を行い、新しいビジネスにも果敢に乗り出す。
性格は陽気で、ざっくばらん、事務仕事は全く苦手で明るい性格が周囲の人間を惹きつける。
面接の時に同じ大学の出身であることがわかったきっかけで、距離が縮まり意気投合していく二人だが、時間が経つにつれ、二人の間に亀裂が生じていく。
独身と主婦。社長と部下。外向的な性格と内向的な性格。さまざまな違いが二人の関係性を阻んでいるのが会話を通じてとてもよくわかる。
物語の深みが出ているのは、小夜子の「現在」での語りと、葵の「過去」の語りの2つの時間軸が織り交ぜられている点だろう。
葵の過去を読み進めると、高校生の彼女はまさに小夜子と同じような性格、思考を持っていた。
そんな彼女が、どのような出来事を経て、明るく前向きな人物になったのか、その秘密を解き明かすようなミステリー要素があるのも面白味の1つだろう。
その鍵になる人物が、高校生時代の葵の親友のナナコ。
葵とナナコの間に芽生えた友情と歪な均衡の中で生まれた信頼関係、ある日をさかいに学校や社会から逃避するようになる逃亡劇と最悪の結末。
この小説の素晴らしいところは、葵の人間性を変えた出来事が、儚くも美しい過去の出来事、ノスタルジーの語りにとどまっておらず、現在の葵の前に進み続ける源泉として描かれているところだ。
葵の中に、もう会うことができないナナコとその思い出は今も強い光を放ち続け、その光は小夜子と私にも届いた。
明日も前に進もう
読み終わったとに、そんな思いにさせてくれる本。
終わりに
久しぶりに角田光代の作品を読みました。
改めて、彼女の描く女性の登場人物の会話や思考やリアリティに溢れていることを強く感じました。
人と分かり合うってことは本当はどういう意味なんだろうか。
生まれも、性格も何もかも一緒の人なんてこの世に一人もいない。だからこそ、自分の人生には自分の思想が入り、相手と比較し、違いがあり、優っているとも劣っているとも器の小さいことを考えてしまう。
でも、そんな他者との交わりがないと、人生に豊かさは出ないし、自分自身の人間性や価値観に気がつくこともできない。
だから私たちは、明日も誰かとの出会いを求めて生き続けようと思うのかもしれません。